2009年11月17日火曜日

中年という世代


映画「サイドウェイズ」を観て、少し考えさせられたことを書こうと思う。君も僕ももう40代に突入したわけだが、一般的に人生の折り返し地点にきたとしよう。(君の場合、125歳まで生きるからまだだが)
社会にでて様々な経験を積んできて、酸いも甘いも苦いも辛いも分かる年齢になった。しかしまだまだ未熟な部分があるはずだ。これから成長していくかもしれないところを自ら分析して、伸ばす可能性があると思う。あきらめた時点で老いがはじまり、あっという間におじいちゃんだ。
そうならないために、日々努力しなければならない。努力するっていってもあまり力まない努力だ。そうじゃないと続かないから。
映画では自分に自信を取り戻す主人公が描かれていたが、ささやかな成長がほほえましいと感じられた。
いつでも素直でいられる自分でいたいと思った。

2009年10月18日日曜日

中村義明 特別講演@滋賀 信楽町


 
京都の日本建築の老舗、中村外二工務店の二代目である中村義明氏の特別講演に行ってきた。
中村氏は四十年前、家業 中村外二工務店に入店以来、日本各地だけでなく海外も含め、二百棟を数える木造建造物の新築に従事してきた。大阪万博茶室が最初の仕事で、ニューヨーク ロックフェラー邸や日本各地の住宅や公共茶室、迎賓館、商業施設を施工、時には設計施工してきた人だ。
中村氏は講演のなかで、建築における物作りの原点は何かを話してくださった。
「それは建築に使用する『材料』そして『建築主』であります。建築の要素は、素材としての『材料』であり、その材料を加工する『技術』であり、材料の寸法と組み合わせの『調和』であります。
建築主の建物への思いや夢、そして建築主の美意識が建築物の骨格や装飾を創り上げる。
材料の出会いですら建築主の力量により生まれます。
物作りの人間は大いなる力量の建築主に巡り会えることが満足できる作品を創り出せる基であります」。
そして五感を使って建築物に接してくださいとも。何度も接しているうちに、その建築物の良さが分かってくるようになる。
値段やそういう価値観でしか見れない現状を嘆いていらしたが、本物を見る力は五感を使えば養うことができると。
なるほどいい建築物には必ずいい建築主の顔が現れている所以か。
今後の日本建築への見方が変わる講演内容だった。


2009年10月12日月曜日

みんなカワイイ

 
人の作ったあらゆるものは生きるために創られたはず。
望んで手に入れたものを手放すのは難しいし、
それが殺人兵器で自分の命に関わるなら尚更です。

目先の便利は人を堕落させてきたが、
生より大事なものがあろうか。
他に思いつかない最新の私。

物事に優劣を下すのも自分自身なら、
善悪も自分中心の認識でしかない生あっての所業。

だからみんな自分がカワイイ。

ひとつの生の背後にある犠牲を想うと心痛だが、
誰しも生きていいし、生きないといけないんだと思う。

しかるに、ひとりでは生きられないという矛盾。

結局、全部でひとつか。


執着なさい。私のためにも。

 

2009年10月11日日曜日

平和への祈り

 
現職のアメリカ大統領のオバマ氏がノーベル平和賞を受賞した。さまざまな意見が飛び交っているが、4月のプラハでの演説は心に響いた。「核のない世界」を実現させるには世界中の人が協力していかなければならない課題としてまだまだ時間がかかるだろう。生きている間にその時がくるのだろうか。
生への執着は君ほど強くないが、その時を皆で喜び分かち合いたいものだ。

2009年9月30日水曜日

生かされている

 
狭い道を譲ってすれ違う時など。

邪魔をしているのがこちらであっても、
多くの見知らぬ老婆はこちらに軽く頭を下げて通る。

当たり前の行為。染み込んだ所作。かもしれない。

でもそんな時、

  自分は生かされている。

  歳をとるのも悪くない。

そんなことを考える。

  目標125歳。

 

2009年9月26日土曜日

ラップトップラブ 1


いつものカフェでキーボードをたたいていた。明日までに送らねばならない原稿がまだ未完成なのだ。あせってはいないにせよ、時間がせまっている。今日は徹夜覚悟だな。あたりまえか。

コーヒーのおかわりをもらうためスタッフに声をかける。もう何杯飲んだか忘れるくらい飲んでいる。完全にカフェ中だ。

一息ついていると、店の入り口からお客さんが入ってきた。年の頃二十歳くらいか

若いお嬢さんのようだ。奥の一人掛けのソファに座った。長いストレートな黒髪の感じが今どきの茶髪のくそガキと対照的なのが印象深い。服装も地味なのに品があるように見えた。いやあれはきっと良質なものを着ているに違いない、そう勝手に解釈した。

店のスタッフが彼女に注文を聞きにいったところで俺は自分の仕事を思い出し、またキーボードをカタカタたたき始めた。するとこのキーボードをたたく音が別の方向から聴こえてきた。どこから聴こえているのか見渡すと、なんとさっきのお嬢さんではないか。ラップトップを開き、手慣れた様子でキーボードをたたいている。まあ今はだれでもパソコンを使う時代だからどうってことはないが、何か気になってしまう。さっきまでの集中力がなくなりそうだ。気持ちを切り替えて原稿に集中せねば。


2009年9月10日木曜日

夕景


美しいもの

美しいと感じる心

いいものはいい

そのままでいい

自然なままでいい

夕日は街を包み込むように照らしている

2009年8月25日火曜日

酒ノ力

 
己を計る鏡としての抑制が効く間は、
足踏みする背中を押す刃物たる。
故に別世の扉として古より神事に用い精錬されてきたのか。

そんな魅力と魔力併せ持ち、
己が器に余ればあふるる酒のもとへ
忘れられぬ記憶を肴に
避けて通れず通ってゆくのか、
誰か今宵も。


 

2009年8月22日土曜日

酒のこころが知りたい


ふと思いついたフレーズ。「酒のこころが知りたい」
酒にこころなどあるのか、ないのか。あれば知りたい。なぜそうまでして俺を酔わすのか。聞いてみたい。なぜ俺を酒の海へと誘うのか。深ければ深いほど視界が良好になっていく。何度おぼれたことか、あやうく命を落としかねないところまでいったこともある。
しかし酒を愛している。いや酒が好きではないな。酒を飲む俺自身が好きなのかもしれない。ただいつまでもつきあっていたい。カラダとココロが悲鳴をあげたとしてもつきあっていくつもりだ。だから教えてくれ、飲まずにいられないようになるのはなぜか。俺は馬鹿か。
リービング・ラスベガスのニコラス・ケイジのように酒を煽るように飲みながら死んでいくのは本望かもしれない。俺はアホか。上等だ。

いつものカウンターに座っていると隣に同世代の女性がやってきて、赤ワインのグラスを注文した。グラスを持つその指に俺はめくるめく欲望を抱いてしまった。一口飲むたびに口をつけたグラスをその指でぬぐっていた。俺はたまらずマスターにハイボールのおかわりを頼んだ。
3杯目のグラスは俺のノドを潤してすぐになくなった。これではいくらおかわりしてもすぐにノドが渇いてしまう。彼女のワインを飲むスピードはあきらかに遅かった。ただグラスを持つ指が美しい。爪の先までがしなやかな動きでたまに両手をきちんとグラスに添えて背筋をのばしている。所作が美しいと落ち着くのはなぜだろう。そんなことを考えていた。
すると彼女がふと俺のほうに顔を向けニコッと微笑んだ。俺はただ見つめていただけだった。
なんのリアクションもとれないまま固まってしまいどうしたらいいかわからず、またハイボールを注文した。



2009年8月4日火曜日

本はオモイ

 
身の回りの物を減らして、出来るだけ身軽にシンプルに暮らしたい。
震災を通じて物質の無意味さも痛感した。

しかし本には特別な魅力ある。

情報だけなら端末機器でも間に合う時世、
実在感が伴う良書は、美しい器に盛られた料理のようで愛しい。
想いを託して束ねた紙は、実際の質量より重いようだ。
増殖する本で、いつか我が家の床は口を開けるかもしれない…。

 
 

2009年7月30日木曜日

地域支える本屋さん


奈良県で本屋を営む中田純さん。昔からある、街のちいさな本屋さんとして親しまれている。
最近の大型店やインターネットを使った通信販売の影響で中田さんのお店も苦しい経営を余儀なくされている。
しかし独自のアイデアでなんとか街の子供達に本を紹介したいと、出張サービスを始めた。
お店でもひとりひとりの好みやどんな本を読みたいかなど細かく聞き出し、カルテを作るまでになった。この10年でブックカルテは1000人以上にもなる。
「子供達に良い本を提供したい」その思いは地域の学校にも及ぶようになった。
なかなか街の本屋さんまで行きたくても行けない十津川村の小学校へ車で出張。即席本屋さんの開店だ。この日を待っていたとばかりにたくさんの子供達がお財布を握りしめてやってくる。
本を選ぶその瞳は真剣だ。どんな本を選んだらいいか、何を読めばいいかなど子供達の質問にもにこやかに応えてくれる。
「子供達がもっと本を読む機会がふえればいいなと思います」
そう語る中田さんは十津川村だけで3万冊もの本を提供してきた。
これからも要望があればどこへでも出張していきたいと意欲をみせていた。
子供の未来のために本を届けたい。中田さんのような街の本屋さんが今の日本には必要なのかもしれない。



2009年7月7日火曜日

孤高のエディター 森永博志


フリーエディターのロール・モデルは森永博志さんになるのではないだろうか。誰よりも早く、遠くへ、深いところへ行って取材し、それを編集していいステージで発表する。誰よりもフットワーク軽く、メジャーとマイナーを往復して、ベストセラーと数百部限定を同時に手がける。
彼の活動は、社員編集者とも作家とも異なる、個人的なテーマをメディアを使って共同作業する醍醐味を示し続けている。
そして、その個人性と時代性のクロスする面白さも。編集という、どうしても一過性の題材を扱いがちな職業にあって、数十年間にわたって特定のテーマを追い続ける彼の情熱はどこからくるのか。高校生の時にドロップアウトし、東京、そして世界のスリリングなシーンを目撃し共同作業してきた筋金入りの「ドロップアウトのえらいひと」である彼のライク・ア・ローリング・ストーンな編集人生に尊敬し憧れるのは僕だけではないはずだ。



2009年6月26日金曜日

MJ逝く

 
死は日常を徘徊し
気付かれぬように周到に近づき
落雷のように閃光する

今となっては、いつどのような気持ちで書いたのか思い出せない。
ある時期、今以上日常的に「死」について考えていたからその中のかけらでしかなく
実に恥かしいものだが、訃報を聞いて昔書き留めておいた言葉を思い出したから仕方ないか。。。
復活を期待していた矢先、残念でならない。
奇しくも復活後すぐ逝った美空ひばりの特集番組が今流れている。
すぐ横にいるのは分かってるけど
私の落雷はいつ光るのだろう。


 

2009年5月18日月曜日

享楽的に生きる

 
街で生活しているものにとってどこで遊ぶのか、何をして遊ぶのかがいつも話題にあがる。
しかし予定を決めて遊んでもそこで得られる悦びはたかが知れている。
本当の悦びは予想外の出来事に出くわしたときにもたらされる。街はいつ、何がきっかけで快楽への扉が開くかわからない。だから面白いのだ。
享楽的に生きるにはパワーがいる。大いに酒を飲んだり、しゃべったり、笑ったり、あちこち出かけたり、知識に飢えたり、人に興味をもったりするのにはそれなりの体力がいる。
肉体的な体力も必要だがむしろあたまの体力のほうを使う。そういった体力は日々街で自ら補給しなければいざという時に出せない。本気で感動したり、喜んだり、泣いたり、面白いものに触れたりしながら得たものだけが、楽しむためのパワーとなっていく。
日々の暮らしでいっぱいいっぱいの人は享楽をあきらめてしまう。
そうならないために街へ出よう。一杯のビール、一皿の野菜炒め、一冊の本、一枚のCD、一本の映画、そして共通の思いをシェアできる友人がいれば、いつまでも笑っていられる。
街は今日も明日もあなたを待っている。

2009年5月7日木曜日

If he lives...

                                           以前からずっと思っていたことがある。それは、俺がリスペクトする人物は早死にする人ばかりだということ。松田優作しかり、夏目雅子しかり、尾崎豊も。海外ではバスキアやカートコバーン、そしてジョン・レノン。それぞれ強烈な人生を歩み、表現者として素晴らしい作品を残し記憶に深く刻まれている。
そのなかでも俺の場合、尾崎豊の存在は決して消えることはないだろうと思う。4月26日の彼の17回忌に讀賣新聞に全面広告が掲載された。auの広告だ。そのなかで音楽プロデューサーの須藤晃氏がこう語っている。
「彼は以前『すべての人が幸せになってほしい。幸せになりたいからもがくのだ』と言っていました。もし彼が生きていたら、きっと世界平和のために活動をしていたでしょう」
俺はあまり想像できないがおそらくなんらかのアクションはおこしていただろう。
世代や時代を超えて支持され続けるということの意味を普遍的といわずしてなんと言おう。
ずっと人生のテーマとして捉えている普遍性という言葉。これからも考えさせられることとたくさん出会うと思う。そのたびに彼らの作品を何度でも繰り返し聴いたり観たりするだろう。

2009年5月6日水曜日

ロバートとサム

 
ずいぶん以前同じようなドキュメンタリー映画を観たし、
今回は知りつつも観ないつもりでいたが、
君に背中を押され、ひとり雨夜に足を運んだ。

ワグスタッフの功績を知人が語るスタイルで
内容の既知も少なくはないが
私の写真への愛の多くは相変わらずメープルソープが占めているし、
コレクターとしてのサムに共感できる部分も多く、楽しめた。ありがとう。

個人的にだが、メープルソープ晩年の作品は魅力が希薄になっていたと思う。
彼の場合は病気のせいかもしれない。
だから写真家に限ったことではないが、夭折に対してはいつも考えてしまう。
誰でもこんな夢想をしたことがあるでしょ。

「もし彼が生きていたなら」


 

2009年4月28日火曜日

メイプルソープとコレクター

 貴重な助言に感謝。模索しながらもがきながら自分の言葉を探していきたい。

さて5月2日からテアトル梅田で公開される映画『メイプルソープとコレクター』は君のことだからすでに承知のことだろう。今年で没後20周年になるメイプルソープ。 HIVにより43歳という若さで亡くなったが、その芸術表現における彼の写真の数々は、性のボーダーを超えて、常にスキャンダラスな論争を巻き起こした。70〜80年代のアートシーンに多大な影響を与え現在でもその研ぎ澄まされた美しさは観るものを魅了し続けている。そんなメイプルソープと稀代なコレクター、サムワグスタッフとの関係を描いているらしい。個人的にはアンディウォーホルなど当時のポップアーティストとのからみや作品の数々がどのように紹介されているかが楽しみだ。もちろんパティスミスも登場するだろう。当時のアートシーンやそこで活躍していた人たちの貴重な映像に心をうばわれるに違いない。

2009年4月23日木曜日

批べ評する

  
批評すべきか、悩んだ。

君の記事がどうこうでなくて、前稿の冒頭でも記したが、
「批評」を、不要と考えているからだ。
もちろん私も日常生活で、自身の指標として「批評」・「批判」を繰り返している。
誰しも、どんな些細なことでも、無意識にでも、これを行っているはず。
それは自分の位置を確認するためで、
本来、他人と優劣をつけることが目的ではない。
しかし、何かを「良い」とすると、他方は「悪い」と受け取られる。
それを、恐れている。一応、公の場であるから尚更と考えた。
まして自分の文章力を棚に上げる必要もある。
とはいえ、勝手に大げさに考えられたとして、君を閉口させたくもない。
軽い気持ちの批評依頼と汲み取って、なんとか試みたい。

そこで、代わりにはならぬが、もし仮に批評を受ける立場として自分がこの様な記事を書くなら、何を拠所にするのか考えてみることにした。

誰に、何を、どのように、伝えるか。
他にも何時、何処で、など様々あるが、基本はこれで良いと思う。
でも何より大切なのは自分の位置ではないか。
自分の濃度と言い換えても良い。
自分を消して情報だけをただ並べた淡白なモノから、
自分の考えだけを読者に問う濃厚なモノまで。
どちらも極端にすると食えたモノではないが、
その立ち位置、濃度によって出来上がったモノの味は変わる。
私は基本的に淡白志向が強いように思っているから、それを軸に展開すると思う。

期待に添えず、申し訳ないが、精一杯である。。。

 

2009年4月18日土曜日

メディアと向き合うアスリートの心

大阪編集教室で「インタビュー記事を書くために」という講義をうけてきた。雑誌『Number』でも活躍中のノンフィクションライター、城島充氏が担当してくれた。しかもゲストにプロボクサーの元WBC世界ミニマム級王者、高山勝成さんが来てくれていた。以下は二人の疑似インタビューを兼ねたトークセッションをふまえて自分なりに記事にしてみた。よかったら批評してみて。

初めて囲み取材を受けたのが、17歳の時に全日本ライトフライト級新人王を獲った時だ。当時はマスコミからはダークホース的な存在であったため、まさかという目で驚かれたという。
取材に対してはやはり緊張していたし、受け答えの準備などはまったくしていなかった。そのため聞かれたことに対しては素直になんでも答えてしまったため、翌日のスポーツ紙にはどうでもいいような事まで書かれていた。これまでの取材を通して嫌だなと感じたことは、自分のボクシングスタイルを正当に評価してくれないことや、表面上だけで判断されてしまうこと。
教科書どおり、マニュアルどおりの質疑しかされなくて、さみしい思いをしたことだ。本音を聞いてほしいのに、なかなか聞き出そうという人があらわれなかった。
そんな彼に一人のノンフィクションライター、城島充氏との出会いがあった。「初めてジムで会ったとき彼が帰り支度をすませているにもかかわらず、ずっと先輩達のスパーリングを見つめていたのが印象的だった」と城島氏はふりかえる。
「ボクシングはいくら見ててもあきない」と答える彼にまっすぐな純真な心を感じたという。
それから後に兄弟のような信頼関係を築きながら素直な気持ちを語れるようになっていった。
見出しありきの談合的な記事のすり合わせや商業的にパッケージングされた質疑応答。こちらの都合にあわせた誘導尋問など、そういったマスコミに対しては表情や目から読み取ることができるという。
「僕は自分の感性を第一にトレーニングしているのでそちらも感性をしっかり磨いた上で取材してほしい」「僕のことを知りたいという感性がこっちに伝わってくるかどうかで心を開くことができる」という彼の言葉にメディア側の姿勢が問われている気がしてならない。
城島氏は「ノンフィクションの世界では取材の対象となる人と親しくなると、ネガティブなことはなかなか書けなくなる。批判できることを許してもらえる関係性を保ちながら一定の距離間をとるのは難しい」とコミュニケーションの難しさを語ってくれた。
「ボクシングをやめようと思ったことは一回だけある」
「命を削ってトレーニングをし、命をかけてリングに上がったのに、あの結果には気持ちが冷めた」
あの結果とは2007年4月7日、後楽園ホールでのWBA世界ミニマム級王座をかけての対戦のことだ。詳細は同年5月号のNumberに城島氏による『自己証明。ボクサー高山勝成の戦い』というタイトルで掲載されている。彼は「その記事を読んで再確認した」と感慨深げだった。
「もう一度やろうとしたきっかけはいつもそばにいるトレーナーが背中を押してくれたから」と感謝の気持ちをあらわし、「ボクシング界のためにやろうと考えずに、違う世界でがんばっている人々のためにもリングに上がり、勝つことで勇気を与えていきたい」と決意をあらたにしたという。
勝つか負けるかの厳しい世界。負けた時にその理由や原因を探して向き合う精神力。先へ進むには決してさけてとおれない道がある。真摯な態度でボクシングと向き合う26歳の若き青年の目に熱い闘志をみた。


2009年4月16日木曜日

目には目を

 
料理の良し悪しは好みであり、個人の考え方や教養、文化であると思っているから
誰が何を食べようが勝手にすればいい。
「批評」は料理に限らず本来不要なものだが
指標としての感想程度であれば人によっては有り難い情報かもしれない。

だが評価を拒否する店を掲載するなら単なる犯罪ではないか。

誰でも知ってる世界のタイヤ屋さんが営業妨害という恐喝を、
お金を払って食べたから何をしても良いとは考えてないと思いたい。
まぁ話題作りの強気のコメントと受け止めておくが、
一番踊らされてることに気づいていない幸せ者はその本を買う人間なのかな。

もし被害者の会でも出来たなら、星付け会議メンバーの素行調査を敢行し
顔写真入りでランク付けして、報道の自由の名のもとに出版し推薦して差し上げては。
 
 

2009年4月15日水曜日

☆で測れぬ歴史

4月15日付けの讀賣新聞の「ニュースが気になる!」で「ミシュラン 京都 大阪版」のことが取り上げられている。
 ミシュラン側の評価が「皿の上の料理のみ」とするのに対し、老舗料亭などが「料理だけでなく、店全体の雰囲気なども評価されるべきだ」と反発、調査を拒否した店もある。対象からはずれた神戸の店からは「なぜ......」と不満もでており、反応は様々だ。さらに星付け会議の議長を務めるナレ氏(48)は「我々は歴史を評価するのではなく、お客さんに毎日出す料理で評価している。読者に店を推薦するのに、お店の許可は必要ない」と拒否されても、掲載すると説明している。
関西の食文化もなめられたもんだ、と正直思った。京都、大阪のこれまで培ってきた老舗や地元の人々に愛されて育んできた店達が、昨日今日訪れて来た顔の見えない異国の人に勝手に評価される筋合いは、まったくといってない。まして掲載を拒否している店を無視して載せるなどというのはメディアとして論外だ。あきれてしまう。「なんぼのもんじゃい」と言ってしまいたくなる。
確かに世界的に名の知れた本であるには違いないし、世界中の人達に関西の食が紹介されるのはいい事だと思う。ただその評価に対する姿勢がいかがなものかということだ。こういう本がでると、手にした読者は星で格付けされた店に問い合わせをしたり、実際に足を運んでしまうだろう。それはそれでお客さんが増えていいじゃないか、という甘い考えでは決して終われない店側の事情があることを理解しないといけない。それは一見さんが押し寄せてくることで、その店や味、ご主人やおかみさんが好きという理由で来ていた今までの常連さんや、ひいきにしていた他のお客さんの足を遠のかしてしまうおそれがあるからだ。
長年の付き合いの中でこそ生まれる店と客との信頼関係、雰囲気、そういったものが壊されてしまうのではないだろうか。おそらく彼らのなかではそういう意識はまったくなくおかまいなしなのだろう。東京版で味をしめて今度は関西か。
本来ならばお店というのは格付けなどというばかばかしい尺度で測られるべきではない。
それはきちんと歴史がおしえてくれているはずだからだ。
「大阪、京都、神戸のほんまもんのうまい味やええ店をおまえらには分かっていらんわい」
と街の声がそういっている。

2009年3月29日日曜日

チカラ

 
「・・・筋肉をつけるように書くという修練・・・」

浮かんだ三島由紀夫氏の自伝的作品「私の遍歴時代」。
氏が最初の外遊から長く世話になる、朝日新聞出版局長の嘉治隆一氏からいつも言われていたのは
「小説家が長もちする秘訣は、一にも勉強、二にも勉強だ。広く見、深く究めることが大切で、毎日少しずつでもいいから、習慣的に古典か原書を読みつづけるようになさい。」
氏は忠告を守り、忙しくとも小むずかしい本に取り組む習慣をつづけたそうです。


どの世界も「長もち」は一等難し。
永続への憧れは困難あればこそか。
残るは時の試練を耐えた証。
それは美に迫りゆく力。


バルテュス最後の言葉は、彼の作品を知るほど沁みてゆく。

「続けてゆかねばなりません。」

 

2009年3月28日土曜日

クリエーター博覧会3について

 3月25日から29日まで大阪のメビック扇町で開催されているクリエーター博覧会に行ってきた。27日と28日の二日間、編集集団140Bの総監督で前ミーツリージョナル編集長の江弘毅氏によるワークショップに参加するためだ。参加したのは14名で男は僕を含め3名しかおらず、女性が多かった。
 江さんの話はのっけから抜群におもしろくて、ぐいぐいその世界に引き込まれていく魅力にあふれていた。レジメを読むとかなりレベルの高い内容となっていると感じるが、話を聞きながら進めていくので分かりやすくまた、深く考えさせてくれる。「僕らは何を書くのか」「何に書くのか」「何によって生計をたてているか」「何を表現しているのか」といった根本的な問いかけを、みんなで根性いれて考えようというのがこのワークショップの目的だ。
 二日間を通して感じたことは、人間的なもしくは身体的なコミュニケーションの重要性や、情報と情報化の違いの認識をもつということ、今までにないまったく新しいメディアを考えなければだめだということだ。
「どうしたらいいのか分からない時にどうしたらいいのかが分かることをその新しいメディアに乗せることこそクリエーターの宿命だ」と江さんは言っていた。
身体を鍛えるように筋肉をつけるように書くという修練をしながらああでもないこうでもないともがきつつ、考えて考え抜くしか道はひらけないということだ。だからもしそれが何か分かった時、あっと驚くようなものが生まれてくるに違いないと思う。
 そう考えるだけでワクワクしてしまう。

2009年3月18日水曜日

街の掟

ルール その1 頭ではなく身体で覚えろ
 
  知らない事は知らないとハッキリ言える大人になりたいと常々思っている。あまりにも情報があふれていて、あたまでっかちな人が多いからだ。だからできるだけ街へくりだして、現場のリアルな空気感とか気配を感じながら、身体を鍛えるように修練している。
携帯の中やパソコンの画面からでは得る事ができない様々な体験を街は味わしてくれる。

ルール その2 街の先輩に学べ

 行く先々で起こる出来事で分からない事があれば、街の諸先輩方に素直な気持ちで教えてもらうのが一番近道だと思う。すぐ尋ねるということではなく街場の付き合いの中で自分自身が覚えていくことだ。中途半端な知識やうわべだけのぺらぺらな態度はすぐバレる。
長年培って来た経験値がいちばん信頼できるに決まっている。
 
ルール その3 ただの消費者で終わるな

 あらかじめ調べていた情報を信じて、店で物を買う、レストラン等で食事する、もしくは株を買うなどいわゆる「消費」する事。
それ自体なんの問題もないのだがそれだけで満足して終わるのはつまらない。そこにいくまでのプロセスや紆余曲折な出来事があったり、予定していない事に遭遇したりしていろんな方向に展開していくほうが楽しい。

ルール その4 スタイルをもたない

 その場、その時、その気分によって変化していく様を楽しむ。肩のこるこだわりはもたない。流されるように流されない。

ルール その5 街のコトバを聞け

 インターネットや情報誌からでは検索したり調べることができないコトバが街場にはある。
自分の耳で聞いて覚えていくしかない。 
 
ルール その6 リズムを感じろ
  
 いい街にはかならずいいリズムを感じることがある。独特のグルーブ感というか、メロディが流れている。その流れにうまくのる事ができた時、街に愛されていると感じとれるのではないだろうか。

ルール その7 ルールを鵜呑みにするな

 街は生きている。どれが正しいか正しくないか決められない。自分と差し向かい合うことでしか感じることができない何かを教えてくれる。少しづつ、少しづつ、積み重ねていって身に付いてくるとそこにはごきげんさんが待っているはずだ。
 








楽しい器

 
新しいのと古いのでどちらを選ぶかはその人の資質にかかっているとしても、
人とモノには巡り合わせがあると思う。
縁あって君と巡り合ったギター。大事にしてやってください。
楽器があるだけでその空間が豊かになるそうです。
聴くだけより、弾くとさらに広がる世界は豊かな人生の財産です。

P.S.
煩悩を絶つことが出来た状態って
「私、生きてます」
って言えるんだろうか。
と常々考えてしまう私は煩悩の奴隷だからか。 タイラー・ダーデン現れないでくれ。

 

  

2009年3月16日月曜日

旅するギター

路上→君 →絵描き→俺。
この順番であってんの?
 
今日たどり着いた。まさかこいつも俺のとこにくるとは思ってないやろ。ろくに弾けない奴のところに、あーびっくりした。
なんやでも手にとってみるとこれがまたしっくりくるわ。そやなあ名前つけたるわ。ジミー、ってどう?あかんな。べたやーっ。
これ確かマーキーの実家で作られたやつやなあ、間違ってたらごめん。ほんなら英語読みでMARKYにしよか。「勝手にせい」て聞こえてくるわ。もうええって?ほなこのへんで帰らしてもらうわ、どうもありがとうございましたあ。ちゃかりんちゃんりんちゃんりんちゃんりんでんでん。はよ練習しょ。
 
 「生きるため」何かをする。飯を食う、水を飲む、眠る、恋をする、本を読む、働く、遊ぶ
勉強する、音を聴く、海を見る、呼吸する。
 本能はどこまでも計り知れない。そして俺の煩悩は絶つことができない。
 
 

写る真

 
そのふたつの言葉を聞いて得心した。

「時空のゆがみとか考えるより、自分の心のゆがみを考えなさい」

「写真とは光と時間の化石である」

森山氏の写真を見た時の違和感、
ハッキリ言えば好きになれない原因が何であるか、を知ったのだ。
写真に対する考え方に大きな相違はなく、方法が違うだけなのだと。

我々が写真に求めるのは単なる記録ではない。
偶然の集積だけで捉えられない無数の選択を経て出来る写真には「何か」を期待する。
少し前なら「表現」という言葉を使ったが、それには違和感を覚えだしている。
無意識でも写真は撮れるし、評価は受手の問題としたら・・・。

では、なぜ私は写真を撮るのか。

結局「生きるため」ということに行き着くのだろうか。
大げさで極端なところに飛躍したようだが、実感として今そう考えている。
 
 
 

2009年3月15日日曜日

往復書簡はじめました

 最初のテーマを何にしようと考えていたら、ちょうどNHKで森山大道のETV特集が放送されたので写真にしようと思う。今や携帯電話にはあたりまえのように搭載され、コンパクトデジタルカメラは子供からお年寄りにいたるまで普及するようになった。そこで撮られている写真は大半がスナップ写真だ。記憶に残すために撮ってるのか、記録として撮ってるのか、ブログにアップするためなのか、人それぞれどれも正しい行為にちがいない。しかし昔のアルバムをめくるような郷愁や、懐古は感じられないだろう。アナログがデジタルに変わったからなのか?分からないが、何か足らないような気がする。

 森山大道が専門学生に「時空のゆがみとか考えるより、自分の心のゆがみを考えなさい」と言っていたのが印象的だった。
彼いわく「写真とは光と時間の化石である」
都市の変ぼうを撮り続ける路上のカメラマンに強烈に刻まれている野良犬の記憶が今もわれわれにせまってくる。
 

コーヒーがめちゃめちゃ好き

 毎朝起きてまずすることがコーヒーをいれることだ。毎日飲まないとなにもする気になれないのだ。コーヒーミルでウィーンとやってペーパードリップでおとしている。コーヒーメーカーも使う時はあるが、紙で直接いれるほうが早いしうまい。飯を食った後もすぐ飲みたいからこの方法でいれる。ほんならインスタントでええんちゃうといわれそうだが嫌なのだ。もちろん砂糖もミルクもいれない。ブラックオンリーだ。しかたなく缶コーヒーを飲む時もブラックだ。微糖ってなんやねん、ってあかんあかん。あれは邪道や。
 そんな感じで一日最低6杯は飲んでる。完璧にカフェ中なのだ。夜も寝る前に飲んでもぜんぜん眠れる。おれにとってコーヒーはもはや血液の一部なのかもしれない。