2009年5月18日月曜日

享楽的に生きる

 
街で生活しているものにとってどこで遊ぶのか、何をして遊ぶのかがいつも話題にあがる。
しかし予定を決めて遊んでもそこで得られる悦びはたかが知れている。
本当の悦びは予想外の出来事に出くわしたときにもたらされる。街はいつ、何がきっかけで快楽への扉が開くかわからない。だから面白いのだ。
享楽的に生きるにはパワーがいる。大いに酒を飲んだり、しゃべったり、笑ったり、あちこち出かけたり、知識に飢えたり、人に興味をもったりするのにはそれなりの体力がいる。
肉体的な体力も必要だがむしろあたまの体力のほうを使う。そういった体力は日々街で自ら補給しなければいざという時に出せない。本気で感動したり、喜んだり、泣いたり、面白いものに触れたりしながら得たものだけが、楽しむためのパワーとなっていく。
日々の暮らしでいっぱいいっぱいの人は享楽をあきらめてしまう。
そうならないために街へ出よう。一杯のビール、一皿の野菜炒め、一冊の本、一枚のCD、一本の映画、そして共通の思いをシェアできる友人がいれば、いつまでも笑っていられる。
街は今日も明日もあなたを待っている。

2009年5月7日木曜日

If he lives...

                                           以前からずっと思っていたことがある。それは、俺がリスペクトする人物は早死にする人ばかりだということ。松田優作しかり、夏目雅子しかり、尾崎豊も。海外ではバスキアやカートコバーン、そしてジョン・レノン。それぞれ強烈な人生を歩み、表現者として素晴らしい作品を残し記憶に深く刻まれている。
そのなかでも俺の場合、尾崎豊の存在は決して消えることはないだろうと思う。4月26日の彼の17回忌に讀賣新聞に全面広告が掲載された。auの広告だ。そのなかで音楽プロデューサーの須藤晃氏がこう語っている。
「彼は以前『すべての人が幸せになってほしい。幸せになりたいからもがくのだ』と言っていました。もし彼が生きていたら、きっと世界平和のために活動をしていたでしょう」
俺はあまり想像できないがおそらくなんらかのアクションはおこしていただろう。
世代や時代を超えて支持され続けるということの意味を普遍的といわずしてなんと言おう。
ずっと人生のテーマとして捉えている普遍性という言葉。これからも考えさせられることとたくさん出会うと思う。そのたびに彼らの作品を何度でも繰り返し聴いたり観たりするだろう。

2009年5月6日水曜日

ロバートとサム

 
ずいぶん以前同じようなドキュメンタリー映画を観たし、
今回は知りつつも観ないつもりでいたが、
君に背中を押され、ひとり雨夜に足を運んだ。

ワグスタッフの功績を知人が語るスタイルで
内容の既知も少なくはないが
私の写真への愛の多くは相変わらずメープルソープが占めているし、
コレクターとしてのサムに共感できる部分も多く、楽しめた。ありがとう。

個人的にだが、メープルソープ晩年の作品は魅力が希薄になっていたと思う。
彼の場合は病気のせいかもしれない。
だから写真家に限ったことではないが、夭折に対してはいつも考えてしまう。
誰でもこんな夢想をしたことがあるでしょ。

「もし彼が生きていたなら」