人によって価値観は多種、多様で複雑だ。よく夫婦の間で価値観を共有するということを聞くが、完全になにからなにまで同じということはあり得ないと思う。男と女という時点でもう違いがあるし、育ってきた環境や受けてきた教育も違うし、そのなかで培われてきた自分の考え方も違う。それなのに価値観が同じで共有しているという。思いは一緒なのかも知れないが、価値観まで同じであるということには疑問を感じてしまう。
ちょっとしたことでも、気になるのが人間だし、それを否定する気もない。
どちらかが、相方に合わしているのが真実ではないのか。少なくとも俺はそう思う。合わしているうちに自分の価値観も同じになっていくというのが自然のながれではないか。長い時間を一緒に過ごしていると、そうなっていくと考えられる。
難しいのは、そこに愛情という感情が入り込んでいることだ。夫婦ならばお互いを尊重し、助け合うのが理想とされる。
愛しているから、あなたの考え方に同意するのか、考え方に同意するから愛しているのか、順序が逆になるとそもそものきっかけが違ってくる。
もしくは、価値観とは切り離して考えないといけないのかもしれない。
いずれにせよ一人一人の個性を持った人間同士が、同じ価値観を共有していくことはそうとう難しいことに違いないだろう。
2010年7月25日日曜日
ものものがたり
極々個人的なことではあるが書いてみたい。
もの。これへの執着を罪悪とする自分がいる。俗世は消費を讃え止まないが、それに抗う感情をぬぐえぬまま、ものへの執着を断ち切れたらと夢想して過ぎる日々は、決して楽な生き方と言えまい。
震災を通じて物質の空虚さは身をもって学んだはずが、喉もと過ぎて繰り返す以前と少しも違わない生活が現実。もちろん全てのものを否定はできない、できるはずもない、無味無臭の人生に興味もない。ただ、多くのものに縛られず、惑わされず、振り回されない生活ができれば、より豊かな営みが実現されるという想いは幻想だろうか。
生まれつきかは分からぬが、もともと禁欲的なものへの憧れはある。青臭い理想論者といわれればそれまでだが、単純なもの本質的なものを、極端に希求しようとする癖と言えなくも無い。守護霊が見えるという親戚によると、私には流浪の修行僧がついているらしい。自分では霊など見えぬから、いてくれたほうがいろいろ辻褄が合うから助かるが、俄かに信じてはいない。とはいえ、ものへの執着をできるだけ断ちたいという想いに嘘はない。
対策として最初に考えた、もの自体に執着を喚起する魅力があるのではという仮定は、とりとめなく浮かぶ結果と、他のせいにしようとする自分に嫌気が差して諦め退けた。
結局自分を見つめるしかない。すると自分の弱さが原因でしかない、となってくる。さらに、弱さにつけこむ余裕がものの増殖に加担しているのは間違いなさそうではあるが、手に余る富裕は言うに及ばず、俗世に生きる我々が無理に苦行者のごとく飢餓状態から豊かさを求めるのは歪んだ精神のような気がしてならず、欲の手綱の塩梅と、それを支える思想に豊かさの肝心があるように考えるのがまともなのであろうと行き着いた現時点。
与えられたもので間に合わさざるを得ないのは万事共通の理、本当に必要なもの、大事なもの、それを見極める目を養う日々が道を示すのであろう。
2010年7月17日土曜日
2010年5月31日月曜日
2010年5月19日水曜日
鏡
ギャラリーで見た作品の感想を友人と話していて考えたのですが、
目に映るものはすべて鏡なのかもしれません。
それが有名な芸術作品にしろ、そこいらにころがってる石ころにしろです。
見るということは、自分なりに推し量る行為です。
何かを感じたなら、そこには興味を抱くにいたる何かがあり、
準備ができていた、とも言えませんか。
つまらなかった小説を、月日を重ねて読み返し、気付くおもしろさに驚くこともしばしば。
見えなかったものが見えることは大きな喜びです。
何かが映るためには、時には教養も必要でしょうが、
多くは経験が加勢してくれるはずです。
しかし経験は邪魔もするので油断なりませんが。
でも実際にものを見て、
今の自分の状態がそこにあるのかも…、そう考えると少し怖くなります。
だってもし何も映らないなら、何も無いのでしょうから。
私の曇った鏡も、まだまだ磨かなくてはなりませんね。
2010年5月16日日曜日
2010年3月30日火曜日
第4土ヨー日
2010年3月12日金曜日
メタモルフォーゼ
ずっと大好きだったものが急に嫌いになる経験をもつでしょうか。
恋愛の話に限りません。
飽きるとはまた違った感覚かもしれません。
飽きるのは自身の器の限界まで到達したからだと思うからです。
嫌いになるにはきっと理由があるはずで、
今までの大好きを砕く衝撃があったんだと考えてみましょうか。
大きな一撃か、じんわり小出しなのかは問題ではなくて、
今までの考え方を覆すか広げるかさせる衝撃です。
器に穴があいたか、器が大きく変化したわけですね。
考えてみると、
日々様々な物々を取り込んで細胞が入れ替わって変化していくわけですから、
昨日までの自分と明日の自分とでは別人と言えなくも無いのですね。
また自分という存在を認識しているのも自分か他人でありますから
きっと同じ物であろうはずは無いのでしょう。
そう考えると確かなものが何も無いようで不安になりますから、
すがる対象を探してしまうのでしょうか。
それが尽きぬ諸欲の根源なのかもしれないと密かに耽ってみたり。
生きるに欠くことのできぬものだと夢想したり。
少し前の長雨の憂鬱がこんなことを考えさせたのでしょうか。
今日の曇り空にはすこし晴れ間が覗いております。
2010年2月5日金曜日
2010年1月9日土曜日
夫婦の絆 「二本の木」
君の新年一発目が、よく分からないヘビーな内容だったのでびっくりしたが、こちらもちょとヘビーなNHKのドキュメンタリーを見た感想。
二人そろって癌と闘い、お互いを支え合い、心の底から愛し合った夫婦の実話を竹下景子と、片岡仁左衛門による朗読で再現する。
実際に書かれたお互いの日記を忠実にドキュメンタリー化。最後を看取るまでを時間軸で追っていく。
もう涙が止まらない。見ていられなくなった。
一つの愛のカタチをこの夫婦に見せつけられた気がする。
思いやりと愛情をもって感謝の日々を最後まで貫き通す夫婦のありかたに深い感銘を覚えた。
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